女優として活躍する富田望生さん。
生まれる前に父親を亡くし、母子家庭で育ってきました。
今回は、富田望生さんの父親と母親がどんな人物なのか、そして生い立ちについてお伝えしていきます。
富田望生の父親は事故死?

富田望生さんはとても魅力的な演技で多くの人の魅了する素敵な女優さんですよね。
そんな富田望生さんですが、母子家庭で育ち、過去には苦労したことも多かったようです。
富田望生さんの父親は、富田望生さんが生まれる前に亡くなっています。
富田望生さんが生まれる5ヶ月前、妊娠発覚から2ヶ月後に亡くなった
と言われています。
事故死でしたが、父親の死因の詳細については明らかにされていません。
富田望生さんの父親と母親の出会いは、2人が20代の頃。
・父親の富田康裕さんが25歳
・母親の藏木アミさんが28歳
の時でした。
サーフィンが趣味だった富田望生さんの父親が湘南から、福島県いわき市に引っ越したことをきっかけに、富田望生さんの母親と出会ったようです。
2人は大恋愛の末に結婚。
その後、富田望生さんがお腹に宿りましたが、娘の誕生を見ることなく、父親は事故で亡くなってしまいます。
その後、母親が空から聞こえてきた名前「みう」に、
「望むように生きてほしい」
という意味を込めて、娘に「望生」と名付けたそうです!
富田望生さんの母親は、父親の分まで愛情いっぱいに娘を育て、今もなお、亡き夫に恋をしているようです。
また、2020年に20歳の成人式を迎えた富田望生さんは、『ヒルナンデス』に出演し、母親からもらった手紙の中には、沢山の愛情が見えました。
番組では新成人を迎えた富田に宛てた母親からの手紙が代読された。
「望生が生まれてもうすぐ20年です。ママは望生と一緒に母として成長する毎日でした」と書き出された手紙では、
「2000年2月25日、パパが天国に帰った日から5か月後の月命日、パパにそっくりな望生に逢えたことが人生一番の喜びです。生まれてきてくれてありがとう!!」
と赤ちゃんの頃の富田の写真とともにメッセージが読まれると、富田は顔を両手で覆った。
https://www.excite.co.jp/news/article/Techinsight_20200114_660013/
また富田望生さんも自身のブログで、
母親の娘で、父親の娘で私は良かった。
父の顔で母の生き方で私は幸せ
と綴っています。
父親亡き後も、思い出は色あせることなく、富田望生さんにとって家族は、常に身近に感じることができる存在のようです。
富田望生の母親はホテルマネージャー?被災した過去も?

女手一つで娘の富田望生さんを育てた母親のマイさん。
福島県のホテルでマネージャーとして、仕事をしていました。
ですが、2011年3月11日、東日本大震災が起き被災します。
当時、富田望生さんは、15歳でした。
母親の職場のホテルは、原発から35kmほどしか離れていなかったこともあり、母親は富田望生さんを連れて、系列ホテルのある東京に避難します。
どのホテルに母親が勤めていたかは定かではありませんが、系列ホテルがあるくらいなので、有名なホテルである可能性が高いですね。
いわき市にあるホテルを調べたところ、
・ワシントンホテル
・ホテルルートイン
・ホテルフロンティア
・東横INN
など、多くのホテルがありました。
全国展開しているホテルもあることから、東京に避難した後も、富田望生さんの母親はホテルの仕事をしていた可能性は高そうですね。
富田望生の生い立ちは壮絶!被災後に女優の道へ

生まれる前に父親が亡くなり、15歳の頃には地震によって被災するなど、なかなか厳しい生い立ちを経験した富田望生さん。
突然、地元を離れ東京に移住しなくてはならず、親しい友人に会えない寂しさと、自身をとりまく環境の変化で周囲にうまく馴染めなかったいいます。
東京での生活に慣れない富田望生さんにとっては、都会で突然始まった生活が苦痛だった可能性もありますね。
ですが、そんな時、子役養成所『テアトルアカデミー』の広告を見つけた富田望生さん。
思い切って、オーディションに応募し、結果は見事に合格。
ここから、現在の女優への道を歩き始めることになりました。
被災し、東京に移住することがなければ、子役養成所の広告も目にすることはなかった可能性もあります。
色んな思いを背負いながらも、夢を持ち、女優としてまっすぐ走り続ける富田望生さんを、これからも応援していきたいですね!